文化村とは
有峰のあらまし


・富山県富山市の南東部(旧大山町)、薬師岳の麓に広がる有峰は、優れた天然林に囲まれた標高1,000mの高原盆地です。そこから有峰湖に貯えられた豊かな水は、電気を生むだけでなく、生活用水や農業用水などとして利用され、常願寺川流域の人々の生活を支えています。さらに、有峰湖畔の遊歩道を散策すると、樹々の緑と湖面、そして薬師岳の姿がなんとも美しく、命の息吹を感じます。このように有峰は富山県民にとって、水と緑といのちが輝く、とても大切な場所です。

・大正9年、富山県の電源開発が始まるまでは、この有峰に少ないながらも人々が住み、過酷な自然の中、森と一体となった気高い森林文化を形作っていました。戦争による中断を挟んで、昭和35年、北陸電力によって有峰ダムが完成しました。そして、富山県と北陸電力は、林道使用料収入と両者の負担による特別会計を設け、全国に例のない優れた維持管理のシステムを築き、住民のいなくなった有峰を守ってきました。

・しかし、県と北陸電力で有峰を守るだけでは、有峰の本当の価値が多くの人々と真に共有したことにならないのではないかという発想から、平成12年から、有峰を愛する人々をおおらかに村民ととらえ、その村民の参画を求め、有峰を五感で森林を味わう環境学習の場にすべきではないかと、議論を重ねました。

・そして平成14年7月、基本理念「水と緑といのちの森を永遠に」に賛同し、有峰で何らかの活動をしようとする人々がつながり、活動していくための「有峰森林文化村」が開村しました。
≪歴史≫
富山県の南東部、薬師岳の麓、常願寺川支流和田川の源流に「宇連(うれ)」と呼ばれる土地があり、古くから集落が作られていました。その起源については諸説あり、平家の落人が住み着いたという説、先史時代すでに居住があったとする説など、さまざまな説がありますが、いまだ定かではありません。 集落に残る懸仏や狛犬などから年代を推定すると、少なくとも鎌倉室町時代以降、この地には人(あるいは戦乱に敗れた武士)が住んだとされています。 住人たちは、薬師岳を信仰し、農耕、狩猟、木こり、魚釣り、山菜取りなどをし、粟を主食として生活していました。 大正9年から始まる有峰周辺の電源開発により、住人は離散し、集落も有峰湖に沈みました。
≪地形≫
有峰は、薬師岳の麓、常願寺川支流の和田川、小口川及び真川の3流域に広がり、その大部分は、和田川流域に属しています。 和田川流域には、面積5.12平方キロメートルの有峰湖があり、これは昭和36年に完成した北陸電力有峰ダムによって和田川が堰きとめられて生まれた人造湖である。 この流域は、有峰ダムを境として著しく異なった地形をなしています。上流部は、有峰湖を中心に、周囲を山で囲まれた標高1,000mの傾斜の緩やかな高原盆地を形成しています。一方、下流部は急峻な峡谷となっています。 また、小口川、真川の両流域は、和田川下流部同様、急峻な峡谷となっています。
≪気象≫
有峰の気象は、富山市内と同じ温帯季節風地帯の日本海型の気象パターンを示しています。また、平成18年から平成22年の気象状況を見ると、平均気温は7.6℃と富山市内より約7℃低く、夏は涼しく冬は厳しい気象です。とりわけ冬季の積雪は多く、多い年は4mに達します。年間の降水量は2,700mmを超えます。
≪地質≫
有峰の地質は、飛騨片麻岩類と花崗岩類、それらに不整合で接する中生代手取層群によって構成されている。飛騨片麻岩類と花崗岩類はダムや折立より下流の和田川、小口川、真川流域に分布、手取層群は有峰湖周辺から真川上流域に分布している。
なお、跡津−大多和−折立峠−真川を通って跡津川断層が走っている。