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有峰森林文化村新聞 2015年3月6日 第331号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/村田和彦
(発行日現在の有峰村民人口:821人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆「平成26年度の活動をふりかえって」
 ~日帰り語り部講~
  (富山市 堀川校下ふるさとづくり推進協議会)   有峰森林文化村
◆ねじばな便り
 ~二人の沖縄県知事                   中川 正次
編集局からのお願い                 有峰森林文化村

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◆「平成26年度の活動をふりかえって」
 ~日帰り語り部講~                    
  (富山市 堀川校下ふるさとづくり推進協議会)   有峰森林文化村

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 平成26年6月21日(土)に「日帰り語り部講(堀川校下ふるさとづくり推進協
議会)」を24名の参加者をお迎えして開催しました。

 予定通り10:30分に到着、10:35分からビジターセンターにて、有峰(ダ
ム集落)について村田助役による語り部講あり。

 10:40分、冷タ谷遊歩道に向け出発、バスの中で富山の電力開発について、
簡単に説明する。
 11:05分、5分遅れで冷タ谷遊歩道に到着、いよいよ散策にスタート!

 遊歩道入口数十mの場所にて、ミズナラ林について説明。
途中でブナの木の実の割れ目より新しく生まれた息吹を発見、(ブナの木の
子)一同感激! 間もなく薬師岳が見えるはずが今日は太郎平しか見えない。

 あとは気になる天気!何とか夕方まで持つよう祈りながら、ヨッちゃんの
木(ぶなの大木)に到着、ヤチダモを優先種とする、ヤチダモ林の説明。この
辺りからハイイヌガシの木が多く見られる。

 いよいよ「あがりこ」に到着、有峰村に生きた住民の証である奇妙な形の
巨木地帯と加賀藩に米の年貢の変わり収めていたと言われる、ヘギ板やワラ
ビの粉についての語り部、この辺りから少しペースが遅くなり始める。

 少々ペースを上げながら最後の林帯カラマツ林に到着、ここからは下り坂
足元に注意しながら、ほぼ予定通りキャンプ場に到着。
 12:30分昼食、公民館で手配したらしい、おにぎり弁当(美味しそうです、
ちなみに大辻アルペン村にて、800円で手配したそうです)。

 キャンプ場を予定より5分ほど早く出発、有峰湖展望台に到着、参加者全
員で記念写真、13:40分永遠の木に到着、写真を撮ったり、その奇妙形にわ
いわいがやがや、14:00分ハウスに到着皆さん興味しんしん(殆どの方が知
らなかったようです)宿泊金額など色々質問攻め、14:20ビジターセンター
に帰館、ふりかえりアンケート、村田助役の挨拶のあと、定刻より15分早く
公民館へ帰館されました。  
天気もセンターに帰館するまで持ち無事終了しました。




○有峰の歴史・森林文化村の語り部   ○冷タ谷散策スタート


○冷タ谷遊歩道の散策(あがりこ説明) ○キャンプ場ロッジ前で昼食


○永遠の木にて           ○ビジターセンターでふりかえり


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ねじばな便り
     〜二人の沖縄県知事〜               中川 正次
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 戦前の知事は官選である。1945年1月31日に沖縄に赴任した島田叡(あきら)
知事は、2か月後に米軍の沖縄上陸を迎えた。沖縄戦が事実上終息した6月に、
摩文仁(まぶに)の丘で消息を絶った。米軍の上陸が近いことが明らかだっ
た沖縄の知事になることは、殉職の可能性も高いことから、誰もが尻込みす
ることだった。前任の知事は、東京に出張していつまでも帰らず、待望の転
任辞令を受けて香川県知事になり、沖縄に戻らずそのまま高松に行った。同
様の行動をとった県幹部も多かった。

 大阪府内政部長だった島田は、「断れば卑怯者」になると、打診に応じた。
神戸二中、三高、東京帝大と、野球で活躍したスポーツマンである。東京に
行ったまま帰らない腰の引けた知事から、明朗な知事に代わって、県庁の士
気は、俄然、高まった。島田は、台湾に飛び、3000石の米を沖縄に運ぶこと
に成功(3月中旬。沖縄戦は3月23日から)するなど、県民の犠牲を少なくす
ることに多大な貢献をした。今日においても、島田知事に対する尊敬の念は
深く、沖縄県高野連秋季大会の優勝杯は、島田杯と呼ばれている。

 反対に、評価が厳しいのは前任の泉守紀(いずみしゅき)知事である。泉
も、1943年7月の赴任当初は張り切っていた。しかし、戦況の悪化した1944
年、県民の生命を守るため重要な政策となった学童の県外疎開、県民の北部
疎開に、泉は非協力的だった。しきりに他県への異動を願い、大蔵省造幣局
長だった兄に根回しを依頼し続けた。県庁の士気は下がり、新聞にも批判の
記事が載った。

 このように、島田と泉の評価は、沖縄県において、天と地の違いがある。
ところが、「いやいや、泉知事もなかなかのことをしたというべきではない
か」という本を、私は最近知った。野里洋著「汚名」である。

 米軍の上陸が予測された1944年夏、沖縄の日本軍は増強された。それに
伴って、軍の風紀が乱れた。那覇にあった辻遊郭だけでは足りないのであ
る。軍は、慰安所の設置を県に申し入れた。「ここは満州や南方ではない。
少なくとも皇土の一部である。皇土の中に、そのような施設をつくることは
できない」と、泉は拒否した。軍に逆らうことは大変なことであった。
「沖縄の方言を話す者は、スパイ」とされ、沖縄戦の末期、日本軍に斬殺さ
れた国民学校の校長先生もいた時代である。あなたが知事だったら、軍の要
請を断れますか。

 結局、慰安所は作られた。「汚名」の201ページにこんな記述がある。

 第32軍は沖縄本島の最南端摩文仁に司令部を移していたが、司令部を訪れ
た者は異様な雰囲気に驚いた。米軍に追い詰められた最後の指揮所であるこ
とはいうまでもないが、中では長参謀長らが昼間から舶来ウイスキーのオー
ルドパーなどを飲み、壕内に若い女性の嬌声が絶えなかった。司令部の高級
将校らは、辻遊郭の女性を南部にまで連れて移動、摩文仁の壕でもこれら女
性をはべらせて米軍と戦っていたのであった。

 田村洋三著「沖縄の島守」を三度読んで、島田叡に尊敬の念を抱いていた
私は、対照的に泉守紀を侮蔑していた。このことは、沖縄の常識である。し
かし、「汚名」を読んで、泉の評価が変わった。困難極める事態になったら、
逃げ出したくなる。組織に属する者が、人事異動を気にしつづけている。い
ずれも当たり前である。島田のように振る舞える人はめったにいない。東京
出張のまま帰らず沖縄から逃れ、人事異動を懇願し続けた平凡な泉だったと
はいえ、慰安所設置拒否は、そうできることではない。

 泉にも言い分はある。なぜなら、県民も県庁も、日本の勝利を確信してい
たのである。疑うことが勝利を遠ざけると考えられていた時代である。勝利
するのなら、疎開など不要と考えるのも無理はない。だから、1944年10月10
日の南西諸島大空襲までは、学童県外疎開に県民は消極的だった。8月22日
に学童疎開船「対馬丸」が潜水艦に沈没させられたことは、秘密にされた。
無事に着いたという連絡が入らないことから父兄は騒ぎ始めた。そんな時代
である。また、県北部への疎開に消極的だったのは、そこが山岳地帯だから
である。事実、たくさんの餓死者が出た。米軍上陸寸前、島田が運び込んだ
台湾からの3000石が如何に貴重だったか。1石は成人1人が1年間に消費する
量である。

 1944年10月24日、連合艦隊は事実上壊滅した。レイテ海戦において、戦艦
武蔵、残存4空母など30隻を失ったのである。神風特攻隊の出撃は翌日に始
まっている。広島長崎の原爆、ソ連参戦まで至らないと降伏できなかった日
本という国を、深く学ぶ必要がある。とりわけ沖縄から学ぶことは多い。


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◆編集局からのお願い                  有峰森林文化村
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