******************************************************************
ありみネット http://www.arimine.net/

有峰村民の皆様と、ほぼ2週間に一度、双方向で交流するメールマガジン
有峰森林文化村新聞 2012年1月13日 第249号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/田上十志郎
(発行日現在の有峰村民人口:736人)
******************************************************************
━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆有峰村民によるリレーエッセイ第31回
 〜冷タ谷のドングリに思う〜
  <ドングリの実をつける木の分類編>                源田 義一
◆ねじばな便り   
 〜「遠い世界に」をけいこしながら〜                  中川 正次
◆編集局からのお願い                       有峰森林文化村
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
─────────────────────────────────
◆有峰村民によるリレーエッセイ第31回
 〜冷タ谷のドングリに思う〜
  <ドングリの実をつける木の分類編>                 源田 義一
─────────────────────────────────
 有峰の秋は全山が紅葉し燃うる様な深紅、黄色、橙黄色に染り美しい。
特に冷タ谷、折立方面の紅葉は濁り気がなく原色そのものを私達に見せ
てくれる。紅葉が終わり森の木々が身に付けていた衣装と次世代への生を
落として終焉となる。
 そして湖面の林は箒を逆さにした様な風景に成る時も又、全山が美しく
写る。
 冷タ谷の遊歩道を歩く時、落葉樹の葉を足で掻き分けて進むその中にド
ングリの実が沢山混ざり込んでいる。
 小生は山奥の村に生れ育ったから、余りにもドングリの実が身近で何に
も感じて居なかったが、毎年、訪れる有峰の森に来て「ハッ」と気が付き
興味を持った。
 紅葉の落葉に染まった雑木林の道で ドングリの実を見つけるのは、幼
い子供時代に帰った様で心がワクワクするものだ。
有峰の森のドングリの実をつける落葉木はミズナラ、コナラ、アベマキ等
である。
 意外と思うかも知れないが、クリもドングリの仲間なのである。
 山では周囲の樹木より一足早く紅葉して色づきドングリを落下させる。
 冷タ谷遊歩道の登り口の急斜面を登りきった所から緩斜面の林が続くが
コナラ、ミズナラ等の所謂、ブナ科の木々が沢山茂っている。
 ―クリの木は少ないように見られた。―
 ブナ科のこれ等の木は日本の野山には22種類ほど有るとの事で、どの木
も大量のドングリを付ける。
 その類の多さは豊作年には落葉した葉上に一面になる事さえである。
 今年も大豊作ではなかったが、“山じまい感謝の集い”の時、訪れたが
豊作らしかった。
 小生の家の雑木林で静かにたたずんで居て、落葉した葉の上にバサー、
バサーと音をたてて落ちる音を聞きながら楽しく遊んだ想い出がある。
 さて、ドングリって何なんだ?、ドングリと云う木はあるのか?、原点
に帰って考えてみたかった。
 生物学の本ではドングリとは、どの様に定義されているのだろうか、調
べてみたら次の様だった。
 1、カシ、ナラなどのブナ科に属する木の種子のこと。
 2、ブナ科の木のうち、コナラ属の果実に与えられた名称。
 3、コナラ属とシイ属、マテバシイ属の種子を示す。
 4、ブナ科のコナラ属とマテバシイ属の果実の総称。
内容、範囲がバラバラで混乱して、さっぱり分からない。
 しかしブナ科の植物のつける実又は種子と云う事では共通項がある気が
した。
 学校の生物で習った何々科の何々属と呼ばれる分類群の何と何がドング
リに当たるのか?である。
 例えばブナ属はブナ、イヌブナ、クリ属はクリ、シイ属はシイの木、み
たいな感じである。
 更にややこしい事に落葉樹に常緑樹に分類されている場合も有るので混
乱するのである。
 だから、ドングリとはコナラ属とシイ属、マテバシイ属の実とするのが
小生流の分類としたい。
 冷タ谷遊歩道の緩斜面の林はコナラ、ミズナラの木が主だった。
 落ちているドングリのお椀の様な殻斗(ドングリの実が若い時、栄養を
もらう堅果がのっかっている皿の部分)の部分が小さ鱗片がビッシリと屋
根瓦の様になっている事から分かるのである。
 〜もう少し詳しく話してみよう〜
 ドングリ(皿の上にのっかっている実の部分)は、堅い皮で覆われてい
て熟しても割れない。こんな実を堅果(ドングリの部分)と云う。
 ブナ科の堅果は木の種類によっていろんな形の殻斗がつき、その上に堅
果がのっかっていると云う構図になる。
 その原因は雌花が蕾のうちは総苞として花を保護していたもので、だん
だん生長すると各鱗片がくっついて、いろんな形になる。
 例えばコナラの様なタイプは、熟したドングリの大半がむきだしで、お
椀の様な殻斗にちょこんと乗っかっているだけみたいな形式やカシの木の
ドングリの様に殻斗の鱗片が数個の輪が見られるのもある。
 小生の雑木林の中にはクヌギの木があり、熟したドングリは半分くらい、
栗のイガ状殻斗に包まれている物もある。
 これは触っても痛くない。硬くてゴワゴワした感じがする。
 同じ落葉木のクヌギ、アベマキは幼い頃、見た記憶があるが、定かでな
い。
 昔からドングリの背くらべと云う様にどれもこれもよく似ていて見分け
がつかないのが実態で、間違っているかも知れない。
         次号の「ドングリの実の食用編」に続く。
※編集長より
 「冷タ谷のドングリに思う」は、次の構成に分けて、今回の第249号には、
<ドングリの実をつける木の分類編>を掲載しましたのでよろしくお願いし
ます。

○<ドングリの実をつける木の分類編>は、第249号に掲載。
○<ドングリの実の食用編>は、第250号に掲載。
○<ドングリの実の形状による分類編など>は、第251号に掲載。
─────────────────────────────────
◆ねじばな便り   
 〜「遠い世界に」をけいこしながら〜                   中川 正次
─────────────────────────────────
 ギターの弾き語り「遠い世界に」をけいこしています。キャンプ場で、
焚き火を囲んで歌いたいと励んでいます。1967年の曲。私は11歳。中学生
・高校生の時によく耳にしました。
 当時は、この曲を含めて、公害問題、大学紛争、ベトナム戦争などを背
景とした政治的な歌がちゃんとありました。
 最近は、「すいたほれた」ばっかり。

1番 遠い世界に旅に出ようか それとも赤い風船に乗って 雲の上を歩
いてみようか 太陽の光で虹を作った お空の風をもらって帰って 暗い
霧を吹き飛ばしたい

2番 ボクらの住んでるこの町にも 明るい太陽顔を見せても 心の中は
いつも悲しい 力を合わせて生きる事さえ 今ではみんな忘れてしまった
だけどボク達若者がいる

3番 雲にかくれた小さな星は これが日本だ私の国だ 若い力を体に感
じて みんなで歩こう長い道だが 一つの道を力のかぎり 明日の世界を
さがしに行こう

 何度も歌っていますと、歌詞について考えが深まっていきます。

 想いその1。
 3番を歌うと愛国心の歌だなあと思います。しかも、偏狭な愛国心では
なく大らかな愛国心。このことは、若い頃から漠然と思っていたことです。

考えてみれば、歌詞の中に「日本」が出てくる歌、少ないですね。
「白地に赤く・・・」「富士は日本一の山」
「酒は飲め飲め飲むならば・・・」ぐらいしか、思いつきません。

 想いその2。
 還相廻向(げんそうえこう)を思います。浄土へ行っても、人間社会が
心配でしょうがないので、舞い戻ってきて世のために尽くす、その繰返し
をするという仏教の考え方です。
 1番では、最初、浄土(遠い世界)にあこがれて「雲の上を歩いてみよ
うか」と考えてみたが、いやいや、「太陽の光で虹を作ったお空の風をも
らって帰って、暗い霧を吹き飛ばしたい」と言っています。
 これを、半年前に気づきました。有峰森林文化村村長の梅原猛さんは、
著書「森の思想が人類を救う」の中で、還相廻向が親鸞の思想の中心であ
ると書いておられます。
 作詞した西岡たかしさんに、親鸞の影響があったのですかと聞きたいと
ころです。
  
 想いその3。
 日本は小さな国かです。これは、最近、気づいたことです。
3番に、「雲にかくれた小さな星は これが日本だ私の国だ」とあります。
日本は、資源のない国、加工貿易で生きていくしかない国という考えです。
幕末以来ずっと続いている考えであり、戦争にもつながった考えです。
 しかし、人口にしても面積にしても、日本より小さな国はたくさんあり
ます。イギリス、ドイツ、フランス、韓国などなど。資源にしたって足り
ない国でしょうか。そもそも資源とはなんでしょう。石油、鉄鉱石などが
思い浮かびます。しかし、なんといっても生き物にとって一番大切な資源
は、水です。しかも海のある水ではなくて、雪や雨が山に降って川となっ
て流れる水です。それから森、土、田んぼも大事です。薬師岳に降った雪
が水となって、ブナ林の土をくぐって湖に貯まり、電気を起こし、田をう
るおし、飲み水となり、海の魚を育てる。世界でも指折りの恵まれた所が
富山県であり、その象徴が有峰です。緑浄土、有峰です。

 雪が降って水や森が潤沢な国であるにもかかわらず、日本を資源のない
国と規定するのは、被害妄想や強迫観念のなせる業であって、他国からす
れば、「何と贅沢なことを言っているのだ」と言われるのではないでしょ
うか。仏教に限らず多くの宗教は、節制、いいかえると、「足るを知る」
に根本を置きます。それを忘れて、「アジアの成長を取り込む」などと言
った考え方に、私は反対です。小学校以来ずっと教えられてきた「日本は、
資源のない小さな国」の考えを捨てないと、平和や社会の永続性は来ない
と思います。科学技術でなんとかなると考えるのは、知識(knowledge)
から来るものであって、智恵(wisdom)ではありません。

 湖畔で焚き火しながら歌う前には、ちょっとおしゃべりを入れたいなあ
と思いながら、冬を過ごしています。
 
─────────────────────────────────
◆編集局からのお願い
─────────────────────────────────
・ホームページ”ありみネット(http://www.arimine.net/)

  /文化サークル活動所/有峰デジタル画廊"にどしどし 投稿をお願いし
 ます。(デジタル写真でも絵画(写真に撮って)投稿ください。)

 有峰森林文化村新聞は村民の交流の場として利用してください。

 皆様からいただいた情報やご意見、感想を掲載しますので、どしどし
投稿ください。お待ちしております。
あて先は
Eメール:info@arimine.net