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有峰村民の皆様と、ほぼ2週間に一度、双方向で交流するメールマガジン
有峰森林文化村新聞 2011年4月8日 第230号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/田上十志郎
(発行日現在の有峰村民人口:726人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆有峰村民によるリレーエッセイ第15回 山崎佐保里
 〜五官で感じるひととき〜
◆オレゴン有峰往復書簡第108回目 有峰からオレゴンへ    中川正次
 〜生態学的常識をもつ〜  
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◆有峰村民によるリレーエッセイ第15回 山崎佐保里
 〜五官で感じるひととき〜
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普段は排気ガスから逃れるために閉めきりの窓を開け放つ。澄みきった清
々しい空気を胸いっぱいに吸い込み、頭のてっぺんから足の爪先まで行き
渡らせる。

すると、力がみなぎり元気がでてくる。体内の毒素が排出されるみたいだ。
そして、その空気が「美味しい」と感じる。マイナスイオンの味? とい
うよりは雑味のない自然の味なのであろう。3歳の息子が緑のトンネル(秋
は赤や黄色)と称する山道を、親子で歌いながら走り抜けると、突然眼前
に大きな湖が開ける。その瞬間に何とも言えない解放感を感じる。そして、
たっぷりとたたえられた水に安心感を覚える。本能であろうか? 息子は
といえば、目を大きく見開きながら喚声をあげている。ひととき、車を離
れてたたずむ。息子は柵にもたれてじっと見つめながら何を感じているの
だろうか・・・。

さて、キャンプ場での事。子供達がすいかをほおばっていたところ、すい
かの汁や種を落とさないように!とのお達しが届く。森林の生態系にはな
いものだし、♪ある日〜森の中〜くまさんに出会った〜♪なんて事になら
ないため? 土に還るから大丈夫なんて頓珍漢な考えはこの時から封印し
なければ! 本当に親子共々、学ぶ事は多いのである。

この日の天候は曇りのち雨。残念ながら満天の星空はおあずけ・・・。
ここで星空をみたら、小さな息子はどんな表情をするだろう、どんな衝撃
をうけるだろう。この密かな楽しみはしばらく先の事となった。
翌朝は静かな雨音と小鳥のさえずりで目覚めた。いつもの耳をつんざくよ
うな目覚まし時計とは違い、何と心地よい音! あまり眠れなかったはず
なのに、それだけで心地よい目覚めとなった。大人が弁当のおにぎりとお
もちを用意する間、子供達は朴の葉や笹の調達に駆け回る。「これが朴の
葉だよ」と教えてもらいながら、またひとつ自分のものにしていく。私が
教えられないことをいっぱい教えてもらったり、叱られたりするのもまた
ひとつの魅力であろう。

雄大な有峰の懐に抱かれる度に癒され、新たな発見に喜びを覚える。しか
しながら、偉大なる自然は私達に恵みだけではなく試練を与える事もしば
しば。そんな目眩く事を考えながら自然と対話をする、私にとって有峰と
はそんな場所であるようだ。


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◆オレゴン有峰往復書簡第108回目 有峰からオレゴンへ    中川正次
 〜生態学的常識をもつ〜  
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今度の東日本大震災において、戦後の復興を引き合いにして、がんばろう
という人が多い。しかし、さらに、20年くらい遡って教訓を求めるべき
ではないか。戦争末期に、なかなか降参できなかった歴史を忘れているの
ではないか。

山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読み返している。東京医専(東京医科
大学の前身)2年生だった山田風太郎(23歳)の昭和20年の日記である。

5月3日の記事に「ドイツ降伏の結果、おそらく今の憂いに万倍する苛烈
さを以て、日本に雪崩れかからん。人これに対していくばくの覚悟ありや。
−−米英軍は、全世界の艦船兵力をあげて大挙日本の攻撃を開始せん。
ソ連、また北方より襲い来たる公算、十中八九。」とある。

戦争の本を読むと、なんで始めたのかという思いと、もっと早く降参でき
なかったかという思いがわきおこる。昭和20年5月の時点で降参してい
れば、沖縄の死者も少なかったはずだし、広島・長崎・満州・北方領土の
悲劇もなかった。富山の空襲もなかった。
なぜ遅れたか。日本が、ソ連に仲介を求めていたからである。

そもそも、陸軍の仮想敵国はソ連だったし、日独伊三国軍事同盟の前身は
三国防共協定であった。ソ連は、4月5日、翌年期限切れとなる日ソ中立条
約を延長しないことを日本に通達してきた。

そして、ソ連がドイツを降伏させた以上、日露戦争の仕返しとばかりに、
極東に軍を進めるのは必定だった。したがってソ連が仲介してくれると考
えるのは、夢のような話だったのだ。ニュース源としてラジオ、新聞と噂
しかなかった23歳の医学生ですら、ソ連の侵攻を予知していた。

しかし、それでも、指導者はソ連に一縷の望みを寄せていたのである。
一方、保阪正康は、「昭和良識派の研究」の中で、昭和17年6月、ミッドウ
ェイで、海軍が虎の子の4隻の空母と、優秀なパイロットを失ったときに降
参すべきだったと書いている。「え、そんな時期に!」という感想を持つ
人は私だけではないだろう。

自分たちにできることからという話が、さかんにニュースやコマーシャルで
流されているが、リニア新幹線建設凍結の話が出てこない。

経済成長し続けようとする文明は、水、食料等の資源の枯渇か廃棄物の捨て
場の不足から滅ぶことを、生態学は教えている。科学技術があれば、必ず解
決できるという問題ではない。

山本七平は、「日本はなぜ敗れるか」の中で、日本の敗因に「指導者に生物
学的常識がなかったこと」を挙げる。人の口に食べ物をとどけることが、社
会機構の基本であって、食物が途絶すれば、その機構は一瞬で崩壊すること
を指している。今度は、「指導者に生態学的常識がない」ことによって、享
楽的な文明を見直すミッドウェイ的な折角の好機を見逃してしまうのではな
いかと、私は心配している。遅れれば遅れるほど、損害は大きくなることは、
ガダルカナル以降の歴史が語っている。

有峰森林文化村のパンフレットは、「森を引き継ごう」のページで次のよう
に説く。

20 世紀は、「戦争と技術」の時代だった。これは、人間だけが特別であり、
いのちは死んでしまうと何も残らないとする砂漠の思想から生まれた。「戦
争と技術」の社会は限界に直面しようとしている。生きとし生けるものが、
みんなつながっていることを否定する砂漠の思想の限界だ。21世紀は、「平
和といのち」の時代にしたい。共生と循環、自然への畏敬―森の思想に戻ら
なければならない。

日本の文化の底流には、縄文以来受け継がれてきた森の思想がある。国土の
7割近くが森に覆われている日本は、森の思想に立つ「平和といのち」地球
社会への先導役でなければならない。有峰の静かで豊かな森と湖。これらと
森の思想とを一緒に、次の世代に引き継いでいこう。

具体的な例として有峰森林文化村を示し、その目指していることをじっくり
味わってみる人の輪を広げることが、私にできることであり、しなければな
らないことだ。

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◆ご挨拶   田上 十志郎
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この4月、富山県の人事異動により羽座さんの後任として有峰森林文化村
の助役になりました田上です。以前、有峰に勤務(林道管理担当)してい
ましたので、その経験を生かして、また有峰の歴史や文化などについて有
峰村民の方々のご指導とご協力を得ながら学び、頑張りたいと思っています。

そして有峰の素晴らしさを多くの人に村民の方々と一緒に発信したいと思
っていますので、よろしくお願いします。

また、この度スタッフの変更がありましたのでお知らせします。5年間の
長きにわたり主任指導員を努めていただいた宮原真樹さんから山本章広さん
(昨年まで指導員)にバトンタッチしました。宮原さんには引き続き指導員
としてお願いしております。
有峰村民の皆さん今後もよろしくお願いします

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