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有峰村民の皆様と、ほぼ2週間に一度、双方向で交流するメールマガジン
有峰森林文化村新聞 2011年1月14日 第224号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/羽座千敏
(発行日現在の有峰村民人口:724人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆オレゴン有峰往復書簡第102回目 有峰からオレゴンへ    中川正次
 〜いつの時点で降参したらよかったのか〜
◆有峰村民によるリレーエッセイ第9回 橘 美起子
 〜森の芸術学校“有峰ネイチャーアートキャンプ”に参加して-2〜
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◆オレゴン有峰往復書簡第102回目 有峰からオレゴンへ    中川正次
 〜いつの時点で降参したらよかったのか〜  
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私が愛着の森対話編として定点観測しているのは二つ。冷タ谷の「朴の木
ブラザーズ」と、西谷の「逍遥菩薩平和街道」である。今日は、「逍遥菩
薩平和街道」について話をしたい。逍遥菩薩平和街道は、幅50センチほど、
長さ50メートルほどのゆるやかな山道である。始点から2メートル先の道
の右側にブナ、その15メートル先の道の左側にブナ、その30メートル先の
道の正面にミズナラが、立っていた。2番目のブナと3番目のミズナラの間
には、幅30センチメートルほどのぬかるみに近い沢が横切っている。太さ
は、手前のブナが一番細く、奥のミズナラが一番太い。その結果、3本の
木が同じ太さに見えた。

過去形を使ったのは、わけがある。二番目のブナが、昨年6月に行ってみ
ると、倒れ、根っこを空中にさらしていたのである。融雪期に倒れたのだ
ろう。春一番が引き金だったかも知れない。根っこが浅いこと、根っこの
広がりが狭いことにびっくりする。なんとなく、深く、広く、根は張って
いるものと考えがちだが、岩だらけの山にあっては、あれが精一杯だった
のだろう。大きくなり過ぎて、自らを支えきれなくなって、融雪や風で倒
れたのだろう。

逍遥菩薩平和街道の「逍遥・菩薩・平和」には、私の願いを込めた。本や
資料を開いて、お互いの対立点を明らかにして議論するのではなく、森を
歩きながら、資料なしで、ああだねこうだねと話しながらの知の逍遥をし
たいという思い。薬師如来の麓に広がる有峰の菩薩の森という思い。そし
て絶対に平和をという思いである。

今日の話の中心は、平和である。本屋の店頭でいろんな雑誌を見ると、愛
国心を煽る目次が並ぶようになってきた。

私は、昭和の歴史の本をよく読む。1928年張作霖爆殺事件、1931年満州事
変、1936年2.26事件、1937年盧溝橋事件、1940年日独伊三国同盟、1941年
真珠湾攻撃、1945年沖縄戦・全国の空襲・原爆・ソ連侵攻・敗戦、1946年
憲法公布。今が1945年1月だと考えたら・・・。

憲法改正を主張する人は、その主張の前に、「どうしたらあの戦争を始め
ないですんだと思うか、いつの時点で降参したらよかったと思うか」を明
らかにすべきなのではないか。

また、私は、丸谷才一の小説「笹まくら」を何度も読み返す。入営直前に、
友達と計って徴兵忌避し、変装し露天商などをしながら、逃げ回った男の
話である。見つからないように逃げ回ること自体たいへん難しいことであ
る上に、卑怯者と言われること、家族をたいへんな目に合わせることをわ
かっていながら、戦争に加担したくないという信念を貫くことは、難業で
ある。友達は直前でやめて、軍隊に入った。戦後、大学本部に徴兵忌避の
履歴を明らかにした上で、主人公は私立大学の事務員として就職する。し
かし、内密にしていたことが、主人公を称える左翼教授の発言をきっかけ
に学内に広がり、卑怯者という目で見られる。昇進直前だった主人公は追
いやられる形で、系列の高校の事務職員に異動する。その高校が高岡にあ
る設定になっている。

笹まくらを読みながら、「自分が、同じような状況にあったら。自分が、
徴兵忌避を実行した親だったら。娘の恋人が実行したら。友達だったら。
自分が教師であったとして、自分の教え子がそんな行動をとったら。親戚
にそんな人がいたら。町内にそんな人がいたら」と考えると、胸がしめつ
けられる。

保阪正康著「あの戦争は何だったのか」の40ページには、昭和17年(1942
年)の徴兵逃れとしての「所在不明と逃亡者」が8778人いたとある。富山
県には何人いたのだろう。

今、街は、監視カメラにあふれている。昔より簡単に捕まってしまうだろ
う。

私の従兄弟の子どもの二人が、中国人と結婚している。高校の友達のお嬢
さんは、中国人と結婚した。オレゴンの小杉さんの息子さんは、米軍の兵
隊としての教育を終えられており、時折、訓練に行かなければいけない立
場におられる、と聞いた記憶があるが、あやふやになっている。平和を願
わずにいられない。中国に、満州事変や七三一部隊など、日本の侵略を非
難しつづけてもらったほうが、中国自身が侵略をできなくなるからいいの
だという考え方に私は賛成である。

そんなことを考えて、逍遥菩薩平和街道を歩いている。

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◆有峰村民によるリレーエッセイ第9回 橘 美起子
 〜森の芸術学校“有峰ネイチャーアートキャンプ”に参加して-2〜
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今回初参加でとても貴重な経験をしました。

子供達を有峰の自然に触れさせたい一心で参加しました。

勘のいい娘あぐりはすっかりあの特別な環境を全身で受け止めていました。

息子理一郎はあくまで自然体でいつもと変わらず物おじせずに大喜び。

真っ暗なテントで外部の人口的な音が何にも聞こえない夜は、私にとって
まさに神秘的な空間でした。

湖畔に佇んでいると太古の昔からの風景がそのまんま感じられました。化
石がでてまた感動。子供ってどうしてああ水が好きなんだろう。湖でも川
でも大はしゃぎ、その時の集中力ってすごいとおもいます。

普段日常では感じられない、水・火・森・土・草・夜空・空気のにおい
・・・など特別な状況で体感できました。

テントを立てたのも初体験、ジュラシックパークみたいに恐竜が口をあけ
た影が今にも映りそうでした。ハチや熊の危険を感じたりする気持ちも日
常では感じられない恐怖心です。人間ってなんて無防備なんだろう。でも
今度はロッジでみんなとワイワイと寝てみたいです。温泉もあればはいり
たいなあ。

夕食のカレーもグッドだったけど、なによりも爽快な朝に食べた、パンと
サラダとドレッシングの味が忘れられません。

きっと子供が大人になってもこの記憶はのこるんだろうなあ。残っててほ
しい。自然を体感して素直なやさしい子に育ってほしい。住まいは福野で
田舎だけれど、もっとスペシャルな大自然を経験できました。

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