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有峰村民の皆様と、ほぼ2週間に一度、双方向で交流するメールマガジン
有峰森林文化村新聞 2008年11月1日 第167号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/荻沢明夫
(発行日現在の有峰村民人口:644人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆オレゴン有峰往復書簡第47回目 有峰からオレゴンへ 中川正次
  〜山森直清さんを悼む〜
◆有峰森林文化村施設の営業について
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◆オレゴン有峰往復書簡第47回目 有峰からオレゴンへ 中川正次
  〜山森直清さんを悼む〜
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山森直清さんが、10月8日に亡くなられた。85歳であった。

山森さんとはじめて会ったのは、8年くらい前であろうか。富山県は、有
峰林道亀谷(かめがい)連絡所の土地を、幾人かの方から借地している。
その地権者の代表が山森さんであった。2年に一度、契約更新をするので、
3月の半ばに判子をもらいに、まだ雪の残る亀谷のお宅にうかがった。玄
関を入ると、軍艦旗が飾ってある。「げ、右翼の人?」。応接間に入れて
もらって、鴨居を見渡すと、戦艦大和や広島県江田島にあった海軍兵学校
の書や絵が飾ってあった。おそるおそる「あれは、海軍兵学校ですよね」
と聞いた。

「ああ、そうだよ」と答えられた。「私は大和に乗っていたんだ」。ソフ
ァから転げ落ちるくらいにびっくりした。

私は、海軍の本をたくさん読んでいる。江田島にも行ってきたし、日露戦
争で活躍した戦艦三笠を見に行っている。米内光政、井上成美といった提
督の伝記をそらんずるくらいに読んでいる。そして、高校時代、犬島肇先
生の現代国語の授業で教わった吉田満著「戦艦大和の最期」は、時折、読
み返している本である。契約更新の話は、簡単に終わり、海軍の話をしば
らくした。

さらに、鴨居を見ると、海軍系と同じくらいの割合で、浄土真宗の書が飾
ってあった。浄土真宗については、梅原猛さん(有峰森林文化村村長)の
本を通じて、読んでいるので、これまた興味の尽きない分野である。歎異
抄の話をした。一緒に中村百さんとおじゃましていたこともあり、そう長
くもおれないので、「また来ます」と、家を後にした。

その後、何度もお家に寄せていただいた。そして、北陸電力の社史「有峰
と常願寺川」の実質的な編集者であることもわかった。そして、「有峰を
俗化させず大衆の山とする」という理念が、脈々と続いてきたことも教わ
った。初代北陸電力社長山田昌作さんの話も聞いた。山森さんに出会わな
ければ、有峰森林文化村は別の形をしていたと思う。

山森さんは、旧制富山中学から海軍兵学校に進んだ。海軍兵学校73期とし
て昭和19年3月22日に卒業したのは902人。戦死者は、280人。戦死率は31
%。902人中、富山県出身者は8人。富山中学3人。神通中学2人、高岡中
学2人、礪波中学1人。うち、高岡中学出身の加賀谷高之さんは、東支那海
で戦死されている。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、沖縄に向か
った戦艦大和に乗っていたのは、3,009人あるいは3,016人。戦死者は、
2,740人。戦死率は91%。山森さんからは、戦艦大和の二つの大きな戦闘
に従事していると聞いた記憶がある。レイテ海戦と沖縄へ向かう途中で沈
んだ戦である。沖縄のほうは絶対間違いないが、レイテのほうは私の記憶
が怪しい。

沖縄のほうは、連合艦隊司令長官の訓示に「海上特攻隊」とあることから
も、生還を期待しない作戦だった。しかし、山森さんは、帰りの油も積ん
でいたので、それは違うといっておられた。実際は、特攻隊という面と、
うまくいけば帰ってくることを意図した両面作戦であったと、私は理解し
ている。山森さんは、犬島肇先生の前で、「地を這ってでも、何としても
沖縄に行きたかった」と、うっすらと涙を流されたそうである。

吉田満の「戦艦大和の最期」では、山森中尉は2度登場する。最初は、戦
闘場面である。

今やただ、被害を局限し戦闘力を温存し、敵数量の消耗を待たんのみ
果たしてその間隙ありやなしや
艦橋の窓は目の高さ、横に一めぐりくり抜かれたる狭き見張り窓のみ
弾片その間をよぎらんとして、多くははね返り、無軌道に噴きこむ
戯れ舞うに似たり
炸裂箇所、弾道の方向の測るに由なし
何をもってこれを避けんか
ただ裸身を礫に曝すのみ
大半の艦橋員、無意識に床にうつ伏して突入する米機を仰ぐ
銃口を直視せばむしろ危険大なるも、
見えざるものに狙われるの不安に堪えず
せめてわが仇敵を目撃捕捉したき衝動に駆らるるなり
その中に、依然として身じろぎもせぬ司令長官
スックと立つ航海長
その前に、窓に上半身を乗り出して雷跡を見張るは兵学校出身、
倨傲なる山森中尉なり
日頃の高言に愧じぬ天晴れの活躍というべきか
(角川文庫「戦艦大和」69ページ)

倨傲とは、おごりたかぶり他人をあなどるようすである。山森さんは、こ
の記述が気に食わなかった。当然であろう。東京帝国大学出身の新米少尉
の目に、海軍兵学校出身の山森中尉がそのように映ったということであろ
う。

吉田満は、駆逐艦冬月に救助された。その冬月に、山森さんも救助されて
いる。そこで、山森さんが再び登場する。

「『大和』ノ乗組員キケ、元気ナモノハ本艦ノ作業ヲ手伝エ」
怒鳴り込む山森中尉、血気の「大和」航海士
(114ページ)

「戦争が終わって、北陸電力に入った。有峰ダムを作るときは、安全管理
の仕事をした。自衛隊ができたとき、来ないかと誘われた。もし、自衛隊
に行っていたら、それなりの地位についていたかも知れない。しかし、私
は、名前が山森なので、山や森を守ることが私の使命と考え、断った。今
でもその選択は間違っていなかったと思っている」と、3年前に話してお
られた。

人間の偉さは、自らの使命に対する忠実度で測られる。このことは、わか
っていても、ついつい地位や名誉や富が気になってしかたのない私である。
戦争が終わるまでの山森さんは、海軍将校としての使命に忠実であった。
北陸電力に就職してからは、山や森を活かした水力発電をすることに忠実
であった。同時に、奥様と手を携え、浄土真宗の門徒として生きることに
忠実であった。私も、山森さんのように、使命に忠実に生き抜きたいと思
う。

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◆有峰森林文化村施設の営業について
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 今年の有峰の紅葉は、モミジ・ナナカマド・ヤマブドウ・ウルシの赤、
ブナ・ミズナラ・シラカバの黄、スギ・マツ・ハンノキの緑が彩り鮮やか
で、多くの皆様がその美しさに感動や感激を受けられたことと思います。

 テレビ・ラジオで報道されたこともあって多くの皆様がお越しになり、
10月19日の休日は超満員で有峰ハウスの駐車場が車で満杯になりました。

 今の有峰は紅葉の最盛期を過ぎ、トチノキは葉を落とし幹と枝だけの丸
坊主になっていますが、カラマツが金色に輝いており晩秋・初冬の感があ
ります。朝晩の冷え込みも厳しく霜の降りる日もあります。冬はもう間近
かに感じられます。

 今年も多くの方々に有峰へお越しいただきありがとうございました。
 残された期間につきましても、スタッフ全員、精一杯お客様へのサービ
スに努めてまいりますので、是非とも有峰にお越し下さい。

<有峰森林文化村施設の営業予定>
・キャンプ場・・・10月20日で営業終了しました。
・有峰ハウス・・・11月4日まで
・有峰ビジターセンター・・・11月12日まで
・テニスコート・・11月12日まで
・有峰林道・・・・11月12日まで(小口川線は10月31日まで)
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