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有峰村民の皆様と、ほぼ2週間に一度、双方向で交流するメールマガジン
有峰森林文化村新聞 2008年1月12日 第146号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/荻沢明夫
(発行日現在の有峰村民人口:608人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆オレゴン有峰往復書簡第28回目 有峰からオレゴンへ 中川正次
校舎正面の運動場の中に生えていたモミジ
◆ネズミのはなし 富山県自然保護課 赤座久明
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◆オレゴン有峰往復書簡第28回目 有峰からオレゴンへ 中川正次
校舎正面の運動場の中に生えていたモミジ
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新年、あけましておめでとうございます。

ヤマカガシは、猪根山遊歩道第二展望台(てんぺん近くの展望台)の脇の
くさむらにいたものです。一服していたとき、誰かが見つけたものです。
調べるために、少し、時間をください。今日は、木と教育のことを考える
ときに、私がいつも思う木のことを書きます。

砺波市に五鹿屋小学校がありました。昭和60年3月に閉校となり、校区
は、現在、砺波市立南部小学校に含まれています。一番卒業生が多いのが、
昭和34年度の68名。最後の昭和59年度は28名の卒業生です。

五鹿屋小学校を象徴するものは、校舎正面の運動場の中にあったモミジで
す。閉校記念に作られた五鹿屋校史があります。校史の「あとがき」を転
記します。

―――
市の計画による学校統合ではありますが、近くに砺波南部小学校の工事が
音もなく進み、日一日と青空高く聳えていくのを見るにつけて、私たちあ
のモミジの学校に学んだ者は、何とも言葉にならぬ気持にさせられます。
それは立派な社会人を数多く輩出した、この学校の歴史に対する哀惜の情
でありましょうか、とにかく感慨も一入であります。

そのような気持ちを何かの形で残したいということから、当校七十有余年、
又当校下教育百有余年の歴史を、一冊の本にまとめることになり、その編
集に当たることになった次第であります。編集委員一同はその非才に鞭打
ちながら、その任を全うすべく努力いたしました。

当初は、教育八十年史も百年史も刊行されていませんので、資料の有無だ
とか、編集の時間的余裕など、心配な事ばかりでした。

しかしながら、幸いに他の記念誌などを参考にしたり、学校の先生方のご
協力もいただいたり、また校下の皆さんからは全面的な応援の下、資料な
どの提供をお受けたりして漸く前途に光明を見出しました。その上、卒業
生各位の思い出の記や、旧職員の方々からの玉稿、賓客からの祝辞なども
揃えることができ、どうにかここまで辿りつきました。

どなたの文章にも校庭のモミジのことが述べられていますが、モミジはこ
の学校の象徴であり、歴史の生き証人でもあります。応召の日にこの木に
抱きつき、そのまま不帰の人となられた例もあります。

この名木を永久に繁茂させねばなりません。そして五鹿屋校精神を永久に
存続伸長させねばなりません。これが編集を終えた者一同の願いでありま
す。
―――

モミジは、明治6年に五郎丸小学校ができたときに、西村さんという方が
寄贈されたもので、明治44年の五鹿屋尋常小学校校舎落成時に移植された
ものです。当時は、運動場の縁にありました。昭和5年に運動場が拡張さ
れて、モミジは運動場の中に位置することになりました。ど真ん中ではあ
りません。縁とど真ん中の中間あたりです。しかし、回想文を見ると、校
庭の、ど真ん中にあったという表現が多いことに驚きます。

昭和39年度卒業の女性の回想はこうです。

(前略)小学校の生活をふりかえると実に様々なことが思い起こされる。
同級生の顔や先生方の顔は今でもはっきりと覚えている。ただ六年間の記
憶の中にある様々な事象は、時が前後したり人が混乱してたり現われたり
で一向に要領を得ないが、唯一つ常に存在を顕示するものがある。それは、
校庭に、しかもそのど真ん中に堂々と立ったもみじの樹である。大きなき
のこ状に枝を拡げたその姿は実に鮮明に浮かんでくる。夏の暑い日中、私
達は校庭でおにごっこやドッジボール、鉄棒遊びをして思いきり汗をかい
た後、あのもみじの木陰に入って涼をとったものだった。そして再び太陽
の下で遊びに興じた。あのもみじの樹は一体いつ頃からあったのだろう。
そして、どれだけの生徒達が学舎から巣立つのを見守ったことだろう。校
舎の中から、あるいは校庭で遊びながら、春夏秋冬その威風堂々たる姿を
目にしつつ六年間の生活をおくったような気がする。校庭で行われた諸々
の行事、運動会、マラソン大会、夏の村々あげての盆踊り大会等々、その
点景に常にかわらずあのもみじの樹があった。(後略)

校史の写真を見ると、運動会のときは、万国旗がモミジにも渡され、その
回りを遊戯の輪が囲んでいます。

新しい学校ができたとして、運動場の真ん中に木が生えているということ
は、まずないでしょう。五鹿屋小学校の場合は、もともとは運動場の縁に
あったモミジが、運動場拡張の際に、運動場の真ん中に躍り出た格好です。
昭和5年といえば、満州事変の前年。昭和6年には講堂兼雨天体操場が増築
されていることから、体育施設の充実は望まれていたと思われます。しか
し、モミジは運動場の中にそのまま、置かれた。そのとき、東砺波郡五鹿
屋村ではどんな話し合いがあったのでしょうか。

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◆ネズミのはなし  富山県自然保護課 赤座久明
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1 気分は罠猟師
  8月上旬の有峰。朝の冷気が残る林の中を、朝食前に宿を出た高校生
 が少々眠そうな顔で、前日にセットしたシャーマントラップ(ネズミ生
 け捕り用のワナ)の回収に向かいます。トラップの扉が閉じていて、箱
 全体が小刻みにカタカタと震えているのを見た途端、鼓動は激しくなり、
 体が熱くなるのを感じる、気分はまさに1人の罠猟師。この感覚を子ど
 も達にも味わって欲しくて、ノネズミの捕獲調査は「ありみね高校生学
 びの森」の定番メニューにしています。

2 スミスネズミに学ぶ
  富山県には、ドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミの家ネズミ3種、
 ヤチネズミ、スミスネズミ、ハタネズミ、カヤネズミ、アカネズミ、ヒ
 メネズミの野ネズミ6種、合計9種類のネズミの仲間が住んでいると考
 えられていますが、過去4年間、高校生学びの森の捕獲調査で捕獲され
 た野ネズミはスミスネズミ、アカネズミ、ヒメネズミの3種です。

  スミスネズミは、2005年の夏に、旧有峰ハウス裏の猪根山遊歩道脇の
 林で森林文化村のスタッフにより2頭捕獲されました。このネズミは耳
 が小さく、尾が短いハムスターに似た体型のネズミで、ヤチネズミやハ
 タネズミと同じミズハタネズミ亜科のグループです。2頭とも、春に生
 まれた若いネズミのため、近縁のヤチネズミとの区別が難しいのですが、
 一般にスミスネズミはヤチネズミより小柄で、後足が小さく、尾が短い
 特徴があります。この2頭、成獣ならば間違いなくスミスネズミの計測
 値に一致するのですが、各部位の測定値が、両種の違いを示すものなの
 か、若齢故にただ小さいだけなのか、判断に迷います。この両種は、形
 態に地域差や個体差も大きいため、多数のサンプルを収集し比較して、
 それぞれの地方の判別基準を作ることが重要とのことです。したがって、
 2005年の2頭は、暫定的な判断としてスミスネズミとして測定値と共に
 報告書に記録しました。測定値を記録しておくと、後の時代になって、
 この判断が正しいか否かが検証されることがあるかもしれません。

  人の一生とは短いものです。今の情報で分かることと分からないこと
 を明確にすること。情報量が増えた将来にも、今回の採集記録データが
 生きるための配慮をすること。プロ、アマチュアを問わず、自然観察者
 として心がけねばならぬ事を2頭の「スミスネズミ的ノネズミ」から学
 びました。

3 木の実とネズミ
  アカネズミとヒメネズミは耳が大きく、尾の長いミッキーマウスタイ
 プのネズミで、ハツカネズミなどと共にネズミ亜科のグループです。両
 種とも北海道から九州まで全国に生息するポピュラーなネズミなのです
 が、アカネズミは平野部から亜高山帯にかけて広範囲に分布するのに対
 し、ヒメネズミは比較的標高の高い自然林を好みます。立山での分布は、
 アカネズミは美松坂の亜高山帯林(2100m)が上限ですが、ヒメネズミは
 浄土山のハイマツ林(2800m)にもいます。有峰の捕獲調査でもこの2種
 はレギュラーメンバーなのですが、猪根山遊歩道沿いのブナ、ミズナラ
 林では両種が捕獲され、有峰湖左岸のカラマツ、シラカバ林では毎年ア
 カネズミ1種だけが捕獲されるというように、明確な環境選択がみられ
 るのが面白く、高校生のための生きた教材としても大活躍のネズミたち
 です。

  このネズミたちの異変に気づいたのは今年(2007年)の夏の捕獲調査で
 した。調査地とワナ数を固定して、年毎の捕獲数の変化を比較できない
 かと考えて採集を始めて2年目の今年、この捕獲作戦がどうやら的を得
 た感じがするのです。

  昨年(2006年)はトラップ60個中捕獲されたネズミは22頭と大量捕獲だ
 ったのですが、今年は同じ条件でトラップを設置して1頭だけの捕獲結
 果でした。あまりの少なさに一同がっかりしたものですが、冷静に考え
 れば、これも重要な自然情報です。2年間のこの変化をどう解釈したら
 よいのでしょうか?

  トラップは生け捕りワナなので、捕獲後、しばらく観察したり計測し
 た後、ネズミたちは捕獲地へ帰ってもらいます。だから、捕獲による生
 息数の減少(捕り除き効果)は無いと思います。参加者の生徒の多くは毎
 年メンバーが入れ替わり、同じ調査者による捕獲調査ではありませんが、
 生まれて初めて森の中でシャーマントラップを設置する生徒達に、大き
 な捕獲技術の差があるとは思えません。そうだとすると、有峰のネズミ
 の生息数に変化があり、それが捕獲数に反映したと考えるのが妥当だと
 思います。

  では、ネズミの生息数の変化の原因は何でしょうか。昔話の時代から
 ネズミの異常発生が話題になり、ノネズミについてはササの開花、結実
 が食物供給源になり、数十年に一度の大量発生、大災害と俗説多数です。

  有峰湖周辺でのネズミの食物の変化を考えるとき、2005年のブナの大
 豊作と翌2006年の凶作が思い浮かびます。この2年間は、ネズミが食べ
 るミズナラの豊凶もブナと一致したもようです。2005年に豊富な食物を
 得て増加したネズミが2006年まで生き残る。その多数のネズミが2006年
 の凶作で食物不足となり、2007年まで生き残ったネズミは少数であった。

  こんな単純な仮説がそのまま当てはまるものでは無いでしょうが、今
 年のネズミ捕獲数の「大凶作」は私たちに食物量の増減とネズミの生息
 数の関係を考えるための、面白い課題を与えてくれたような気がします。

  今年の有峰のミズナラの結実は並作とのことですが、林道脇に一面に
 散らばっているドングリを見ると、ネズミの越冬を支えるには十分な量
 のように思えました。今頃有峰のネズミたちは深い雪の下で越冬生活で
 す。来年の夏の再会を楽しみに、有峰のノネズミに想いを馳せている、
雪の無い2007年クリスマスイブの夜更けです。

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