******************************************************************
ありみネット http://www.arimine.net/

有峰村民の皆様と、ほぼ2週間に一度、双方向で交流するメールマガジン
有峰森林文化村新聞 2005年5月14日 第76号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/中川正次
(発行日現在の有峰村民人口:390人)
******************************************************************
━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆有峰ホテルの話
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
─────────────────────────────────
◆有峰ホテルの話
─────────────────────────────────
昭和50年まであった、北陸電力の有峰ホテルについて調べました。

有峰に詳しくない読者の方もおられますので、関連する言葉を最初に説明
します。

(1)有峰ダム
昭和18年、戦争により富山県のダム建設工事中断。
昭和31年9月1日、北陸電力によりダム工事再開。
昭和34年4月1日、ダムの第1次湛水開始。
昭和35年8月28日、ダムのコンクリート打設終了。

(2)猪根平
有峰ダム右岸に位置し有峰の中心部。ダム建設時の基地。現在、有峰森林
文化村事務局、有峰ビジターセンター、有峰ハウス、有峰記念館がある。

(3)有峰ホテル
北陸電力の大切なお客さん用の木造の宿泊施設としてあったが、現在はな
い。初代、2代目、3代目と場所が移った。同じ材料を用いて移転していっ
た。新築されたような印象を与えるけれども、適切な言葉が見つからない
ので、初代、2代目、3代目という言葉を使って説明する。

(4)有峰ハウス
初代は、県が、猪根平の高いところに昭和39年につくった。有峰青少年の
家が正式名称。鉄骨鉄筋コンクリート造り。しかしながら、有峰では、
「ハウス」で通称されていた。平成14年有峰森林文化村条例ができて、有
峰ハウスが正式名称になった。2代目は、平成16年に猪根平に木造で完成。
これに伴い、初代は有峰ハウス別館と呼ぶことになった。

(5)有峰記念館
昭和41年竣工の北陸電力の水力発電所PR施設。猪根平の湖畔に立つ。鉄骨
鉄筋コンクリート造り。レストラン・売店展示コーナー(有峰ダム建設記
録やパネル展示)、団体休憩所、展望台がある。以前は、宿泊もできた。

それでは、有峰ホテルの説明に入りましょう。有峰ダムを作っている頃は、
関係省庁の人などたくさんの人が有峰を検査や視察に来られます。工事現
場の食堂や宿舎で、休んだり食事をとってもらうわけにはいかないですか
ら、作られたのが有峰ホテルです。

初代は、昭和31年に神通第2発電所合宿を移設して作られました。場所は、
湖底に沈んでいます。有峰記念館の少し西に北陸電力の管理用道路(一般
者は、入れません)があります。その管理用道路は湖畔まで続いているの
ですが、その先に有峰ホテルが、木造2階建てで、客室8室で、あったの
です。

昭和33年に、移設して2代目ができました。翌年4月の湛水によって初代
の土地は湖に沈むからです。場所は、現在の有峰林道折立線沿いです。す
なわちダム展望台から、折立に向かって車を走らすと、左手に有峰ハウス、
右手に有峰記念館になります。道なりに右にカーブすると、右手が開けて
きます。有峰記念館から100mも離れていません。ここに2代目が移設
されたのです。

昭和33年に富山国体がありました。天皇陛下がお泊りになったのは、北陸
電力の本社があった富山市の電気ビルでした。その電気ビルがつくった記
念写真集があります。その中に、初代の有峰ホテルの写真があります。電
気ビルから従業員を派遣して運営していたからです。陛下が有峰に来られ
たわけではありませんが、行啓していただいた栄誉を記念するアルバムを
つくったときに、有峰グループも載せないのはかわいそうだろうという配
慮が働いたのではないかと想像します。そのことからも北陸電力と電気ビ
ル、有峰の関係がしのばれます。

昭和36年に、有峰ホテルは、移転して第3代になりました。場所は、現
在の有峰ハウス別館(旧の有峰ハウス)から歩いて3分ほどの、キャンプ
サイトのあたりです

昭和44年に神通川にかかる富山大橋が落ちるなどの大きな水害が富山県を
襲いました。有峰は孤立しました。青少年の家に来ていた子供たちを抱き
かかえ冬季歩道を渡らせた三浦久信さんの思い出を、有峰森林文化村新聞
2002年10月19日第6号に載せています。このとき、かたや有峰ホテルには、
視察で来ておられていた北陸電力の大事なお客さんが閉じ込められていた
わけです。

昭和47年3月に、有峰ホテルは、有峰湖畔荘と名前を変えました。

昭和50年7月に、有峰湖畔荘は閉鎖され、有峰記念館に旅館部が開設され
ました。

そして、木造の宿泊施設は、平成16年10月に県によって有峰ハウスとして
復活しました。

有峰ホテルの話からは少しそれますが、面白いエピソードをいくつか紹介
します。

○県が途中まで作っていたダムをそのまま利用したのではなく、削ってい
る。

○ダムの岩盤の検査を受けるのがたいへんだった。検査前には、岩盤を雑
巾がけした。そのためにたくさんの人がアリのように働いた。有峰トラン
プの電源開発のカードの写真はそのときのもの。

○有峰ホテルの仕事が暇でも、周囲は、ヘルメットが必要な工事現場なの
で、従業員は散歩するなと言われていた。

○有峰ダムのコンクリート打設の一日の目標(一日6000立方メートル)が
達成すると、猪根平に軍艦マーチが流れた。

○打設の節目節目には、相撲大会などが開かれていた。

○ダムの建設作業員のお酒は、一日二合以内と決められていた。

○現在の有峰記念館の裏山のあたりに、豆腐屋、診療所、床屋、売店、映
画館があった。

○有峰林道小見線は、まだ通れなかったので、富山県細入村の猪谷から大
多和峠を通ってボンネットバスが通っていた。

○ダムの湛水がはじまっても、まだ堰堤は完成していないので、右岸と左
岸の通行の確保のため、人や荷物や車を載せたやくし丸という船を、たろ
う丸という船がひっぱっていた。

○現在の有峰ハウスのあるあたりには、骨材(セメントにまぜてコンク
リートを作る砂、砂利などの総称)が集積していた。麓の本宮から索道で
運ばれるものが大半で、折立から来るものは少なかった。

当時のことをご存知の方は、どんなことでも事務局に教えてください。
─────────────────────────────────
原稿や感想をお待ちしております。
あて先は
info@arimine.net