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有峰村民の皆様と、ほぼ2週間に一度、双方向で交流するメールマガジン
有峰森林文化村新聞 2005年2月5日 第69号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/中川正次
(発行日現在の有峰村民人口:379人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆有峰の峠 富山市・柳川朋美
◆松田茂さんの死を悼む         中川正次
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◆有峰の峠 富山市・柳川朋美
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昨年の半年間を有峰で過ごさせていただき、幾度か「峠」と呼ばれる所へ
行きました。そこで山々や木々を眺めていると、深い歴史のようなものを
感じ、もっと詳しく知りたくなりました。そこで、有峰で主要と思われる
5つの峠について調べてみました。感じたことと併せて書いてみたいと思
います。

1.祐延峠
有峰林道小口川線で水須から有峰へ向かうと、小口川(常願寺川の支流)
沿いのうねった林道を延々と進まねばなりません。途中に祐延ダムがあり、
程なくして小口川線で最も標高の高い祐延峠(1430m)に着きます。そこで
一気に視界が開けて、薬師岳、立山といった北アルプスの山々の連なりが
見えます。「鯖雲を天蓋として岳並ぶ」、中坪達哉氏は俳句にこう詠んで
おられます。「立薬師(たちやくし)」と詠まれるその景色は、視界の良
い快晴の日にのみ与えられる山々からの賜り物のように思えます。

以前、水須から有峰へ向かう道は「うれ街道」と呼ばれていました。水須
集落は現在と異なる位置にあって、うれ街道はそこから有峰村へと続いて
いました。その道は現在廃道となりましたが、東笠山(1687m)や辻峠(1607
m)などを越える標高差の大きい難路であったということです。

かつて、うれ街道で水須から有峰へやってくる稗作見分の役人を、村の
人々はわらび餅を持って辻峠まで出迎えたといいます。辻峠は祐延峠に程
近く、役人たちも立薬師の景色と美味しいわらび餅に心癒され、残りの道
中を急いだのかもしれません。

2.大多和峠
大多和峠(1307m)は岐阜県との県境に位置し、有峰林道大多和線の料金所
が設置されています。ここから望む薬師岳も美しく、うれ街道はこの峠を
通って岐阜県大多和集落へと続いていました。有峰から大多和へ向かう道
は、婦女子の買い物道として一番容易でした。大多和峠が「タワ(峠の
意)」「入出タワ」と呼ばれたことから、それだけ生活に密着した道であ
ったことが伺えます。

岐阜県へと続くうれ街道は「お伊勢参り」の道でもありました。有峰村で
は、毎年年末に2人の男衆を伊勢に送り出したといいます。これに選ばれ
ることは大変な名誉で、村民全員で大多和峠まで見送ったそうです。

また、毎年初午には「チョウハイ」という習わしがあり、女衆が土産を携
えて大多和や佐古、跡津川といった岐阜県側の集落に泊まり、初午ダンゴ
などを持ち帰りました。それらの集落は有峰の枝村であったといわれます。
女たちは大多和峠まで有峰村の男たちに付き添われ、向かう集落の男たち
が峠で出迎えたそうです。

出迎えや見送る者たちは、どんな想いを募らせて峠に立ったのでしょうか。

3.唐尾峠
有峰と岐阜県山之村とを結ぶ道は山之村間道と呼ばれ、唐尾峠(1610m)は
その県境にあたります。山之村間道は旧鎌倉街道の一部でもあり、遺跡や
伝承などを総合すると、鎌倉への抜け道としての利用もあったようです。
加賀藩が密かに能登塩を飛騨へ運んだルートであり、牛飼いや馬喰もこの
道を利用したといわれます。飛騨側から薬師岳へ向かう時にもこの道を使
いました。また、有峰村とチョウハイで結ばれた集落との間には婚姻関係
はなかったようですが、山之村の集落との間には幾度か縁組みがあったと
いうことです。

現在も、唐尾峠へは車では行けず有峰の西谷から2時間以上も歩かねばな
りません。それだけに、たどり着いたときの喜びは大きいです。

4.折立峠
折立峠(1457m)は折立登山口の近くにあり、新折立隧道の約1km北に位置し
ます。隧道の完成により、通る人も少なくなりました。

その昔、安住の地を求めさまよう人たちが、常願寺川、真川とさかのぼり、
急勾配の谷を歩きつづけて折立平に達し、西に見える山へ登ったところ、
すぐ眼下に開ける有峰盆地を目にしたといわれています。長く厳しい旅を
続けてきた人たちにとっては、この盆地が夢の別世界、桃源郷にも見えた
ことでしょう。こうして人々はこの地に足をとどめ、住み着くようになっ
たに違いない・・・有峰村ではそう信じられていたといいます。場所から
考えて、折立峠は桃源郷との出会いの場所に近いような気がしてなりませ
ん。

5.小畑尾峠
この名はもう地図から消えてしまい、足を踏み入れることもできなくなっ
てしまいました。有峰村が湖底に沈む以前、村から薬師岳へと向かう登拝
路がありました。小畑尾峠(1802m)はその登拝路にあり、折立峠の南約4km
に位置していました。

有峰村の人々は、薬師岳を神聖なものとして崇め、「岳は日に五たび色が
かわる」と言って尊んだそうです。その信仰は離村時まで連綿と受け継が
れてきたといいます。旧暦の6月15日は、薬師岳頂上での薬師祭でした。
村の15〜50歳までの男衆は祭りの一週間前から精進し、当日には沐浴して
塩で身を清め、提灯を持って登り、途中三度程雪水で“みそぎ”をし、頂
上の手前からは素足で登って参拝を済ませたということです。特に願いの
ある者は山頂の祠に鉄剣を献納しました。

この古い歴史の道も、有峰村の離村とダムの完成とともに廃道となりまし
た。昔人が一心に薬師岳を目指して越えた小畑尾峠にも、もう立つことは
できません。太郎兵衛平などにはわずかに旧道が残り、在りし日の姿を止
めています。

文献:高瀬信隆「越中うれ村誌」(常願寺川とその流域史抄)、上新川郡文
化協会「有峰を探る」(1957)、「大山町史」(1964)、橋本廣「越中の峠」
(1972)、北陸電力株式会社「有峰と常願寺川」(1981)、塩照夫「富山県歴
史の五街道」(1992)、飯田辰彦「有峰物語」(1995)、五十嶋一晃「岳は日
に五たび色がかわる」(2004)
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◆松田茂さんの死を悼む               中川正次
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昨年10月11日から12日にかけての「有峰紅葉写生の会」でお世話に
なった富山市石金の松田茂さんが、1月26日になくなられました。紅葉
写生の会は、林清納先生を講師に開いたものですが、企画立案から当日の
仕切りまで、ほくりん会の会長である松田さんにいろいろお世話になりま
した。

昨年5月ごろ県民会館のロビーで松田さんと林先生にお会いしてやること
を決めました。夏にお宅に伺って企画を相談し、9月24日には下見もし
ていただきました。病魔に既に冒されておられたのであろうと思いますが、
最後の仕上げ中の新有峰ハウス、冷タ谷キャンプ場、旧有峰ハウス、そし
てブナとミズナラのからまったところなどを見ていただきました。

松田さんが話されたことで思い出すのは、

「旧有峰ハウスの集会室は、アトリエとして最高。是非残してくれ」
今年も利用することになりました。

「山や木だけでは絵にならない。人工物とセットにするとよい。その点、
旧有峰ハウスの三角屋根のデザインはとても素晴らしい」

「ダム展望台が一番」
バスにのって写生するのに一番の場所はどこかと探しに行きました。私が
候補を選び、ダム展望台→小口川線展望台→冷タ谷キャンプ場の順に回り
ました。私は、小口川線展望台を本命と考えていたんですが、ダムの優美
な曲線が見えるダム展望台に決まりました。定番に選ばれているものは、
それなりの理由があるのだなあと思いました。

「絵には描けない。無理無理」
冷タ谷キャンプ場でのことです。当日は、無風でした。湖畔に下りると、
向かいの山々の紅葉が、油を水面に落としたように湖面に映っていました。
紅、黄色、緑色の虹のような帯を作って。私も、こんな湖を見たのは初め
てです。松田さんに「絵にかけますか」と聞くと・・・

松田さんが、絵を描きに外に出られるのは、有峰が最後だったかも知れま
せん。ご冥福を祈ります。
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