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有峰村民の皆様と、ほぼ2週間に一度、双方向で交流するメールマガジン
有峰森林文化村新聞 2003年1月11日 第12号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/中川正次
(発行日現在の有峰村民人口:159人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆森林美を謳いあげた田部重治 五十嶋一晃
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◆森林美を謳いあげた田部重治 五十嶋一晃(所沢市)
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有峰には由緒ある登山道があった。南北朝時代から、旧有峰村民が薬師岳
へ登拝するために通った道で、有峰の東谷から小畑尾峠を経て真川に下り、
上ノ岳寄りの二股付近から太郎兵衛平へ向かう山道である。1957(昭和3
2)年に折立から太郎兵衛平までの新道ができてからは廃道になているが、
そこは30メートルにおよぶ唐檜や白檜曾などが林立し、真夏であっても直
射日光が遮られて心地よく歩くことができたところである。

富山県出身の英文学者で、探検時代の先駆的な登山家であった田部重治が
1909(明治42)年8月、岐阜県から大多和峠を越えて有峰へ入り、この登
山道を通って薬師岳を往復した。翌年の7月にも、富山県の上滝から水須
を通り、東笠山を越えて有峰に入って、再びこの登山道から薬師岳に登っ
ている。

田部は大多和峠から太郎兵衛平に至る山道の樹木をみて、当時日本の登山
者が感じていなかった森林美にうたれ、それを紀行文として世に紹介した。
それまでの登山者は、山頂のみに登山の意義を求めていたので、田部の登
山に対する感覚は、森林、渓谷、高原、峠、山湖、時には山村などを包含
する山岳全体を対象としたもので、新鮮な登山観として絶賛された。この
森林美が秩父の山々にも見い出され、後に田部は奥秩父全域を開拓するこ
とになる。

田部は森林を賛美すると同時に、太郎兵衛平からの眺望を

 全く太郎兵衛平に立った時の私は、北國の一部がうづたかまってゐると
 云うよりも、私達人類が住んでゐる大地其物が大きくうづたかまってゐ
 ると云う感じを抱いた。つまり、私は何となく永遠というものの一角に
 足を踏み入れたような歓喜を感じたのである。

と観照的に著して、田部自身の人生にも積極的な生き方を啓発し、登山者
へも多大な影響を与えた。   (2002年12月記)

編集部注
有峰の文学といえば、中河与一の「天の夕顔」が有名です。しかし、田部
重治(たなべ・じゅうじ)著「山と渓谷」(岩波文庫)のほうが素晴らし
い作品ではないかと編集部は考えています。五十嶋一晃さんは、日本山岳
会百年史編纂委員会の委員をしておられ、田部重治さんに関する研究もし
ておられます。有峰を愛する私たちが田部重治さんのことを教えてもらう
には、五十嶋さんが最適任者であります。2003年の新春を飾るのにふさわ
しい田部重治論を、この新聞のために、2回に渡って執筆していただきま
した。詳しい研究は、ありみネットの中で掲載していく予定ですのでお楽
しみに。なお、太郎平小屋を経営される五十嶋博文さんは、一晃さんの弟
さんです。
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